こんにちは、MOTOです!
あなたには思い出すとモヤっとする過去や嫌な思い出はありますか?
私はたくさんあります(苦笑)
先に結論を言ってしまえば、暗い過去との正しい付き合い方とは暗いままの解釈で終わらせずにポジティブな行動に繋げてしまうことです。
実例をあげながら話をしていきます。
過去との付き合い方が上手になるメリット
過去をネガティブなものではなく、ポジティブに変換できると次のようなメリットがあります
- これからの人生の選択の判断を間違えづらくなる
- 過去と現実は別のものであると理解できるようになる
- 思ったより他人は自分のことを気にしていないことが分かり気持ちが楽になる
大前提として絶対に過去は変えられないということを肝に銘じてください。
私の場合は過去に失敗した出来事で印象的なことは以下の通りです。
- 高校時代に一度も公式戦に出ることなくベンチ入りをし、チームメイトに抗議された
- 大学の野球部でチームメイトと上手く関係を築くことが出来ずに最後は逃げてしまった
- 大学の寮生活で副寮長という立場に挑戦したが思ったようなリーダーになれなかった
こうして見ると主に人間関係の問題が多いことが分かります。
これらの問題を起こしている当時は思ったように進まない現状に対して色々な言い訳がありました。
部活動での人間関係の失敗について
私は6歳の頃から現在までずっと野球選手として活動を続けています。
野球は集団スポーツなので野球をやるとなったら、どうしたって人間関係を築くということからは逃げることができません。
人間関係で思ったような関係を築けない時、一言で済ましてしまえば「周りの人たちと馬が合わない」と言えるでしょうが、高校野球も大学野球も上手く築けなかったのだとしたら私に問題があると思うでしょう。
問題に直面した時、人間はその捉え方が「他責」にするタイプと「自責」で捉えるタイプがいます。
経験上、覚えといてほしいことは人間は言い訳のプロだと言うことです。
さらに、認知的不協和という心理学の言葉があるのですが自分を正当化するために行動を合わせるという特性を大抵の人が持ち合わせています。
認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英:cognitive dissonance)とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。
Wikipediaより引用
私も根本は他責で捉えがちなタイプですので、学生時代は認知的不協和も働き
「自分は人から理解をされなくても、陰で努力を続ける人間なのだ」
といかにもらしいカッコつけの言い訳を自分の中で作って、チームメイトとの距離を縮めるための理解されるための努力を怠ってしまったことが致命的なミスでした。
上記の考え方ではチームメイトとの距離を認知的不協和も働き放置してしまっているため、根本の問題である人間関係の良好に戻すということが出来ません。
先ほど伝えた通り、人間は言い訳のプロです。
どんなに自分の中で納得していたとしても、人の評価は自分ではなく他人がするものであるため状況は悪くなるばかりでした。
結局、大学野球集大成である4年生の秋リーグ前の夏休みの期間のオープン戦…
私には1試合も登板のチャンスもなく、投手のチーフに「練習をしてないやつは使わない」という言葉を聞いたタイミングで私は野球部を退部しました。
練習の途中で家に帰って、涙をボロボロ流しながら退部の意思をグループLINEに送ったときは半分ヤケクソだったかもしれません。
実は高校時代も似たような失敗をしていました。
実力が伴っていないにも関わらず、高校3年生の夏に背番号20で運良くベンチ入りできました。
当時は下級生主体となるチームに方向転換していたため、3年生のベンチ入りが自分含め6名でベンチ外の3年生の方が多かったのですが、ベンチ外の3年生が全員で監督に私をベンチから外して欲しいと抗議に行ったのです。
これらの話を聞けば分かる通り、どうやら被害者ヅラしている私にも何か問題がありそうだぞ…ということが伝わるのではないでしょうか?
当時は自分の中の言い訳があったため、「周りの人間が酷い」「自分は人に恵まれないタイプ」だと本気で思っていました。ですが、今考えると周りの人間との明らかなコミュニケーション不足、対話の中で相手を尊重するという部分が欠落していたこと、過ちを犯した時の態度など自分自身の問題が多く日々の中で信頼を失くしていったのだと思います。
ブログの冒頭でお伝えした通り、大前提として過去は変えられません。
ここで、大事な心構えは「失敗から何かを学び取る姿勢」です。
これらの失敗からわかる問題点とその解決方法が以下の通りです。
- 自分が組織の人間達に与える印象は基本的には悪い
➡︎相手からどう見えるかを意識しながら振る舞う - 周りのせいや環境のせいにして独りで納得していても損するのは自分自身
➡︎基本的には「自責」で物事を捉える、周りに問題があるという自分の意識が問題 - コミュニケーションを取るだけでなく相手へのリスペクトを忘れてはならない
➡︎マウントを取りにいかない、意見の相違があっても相手のことを認める
人間の本質はそう簡単には変わらないため、いつ何時も実践できているか分かりませんが前よりは良好な人間関係がつくれるようになりました。社会人になってからは周りの人間達に非常に恵まれるようになり、尊敬できる人達ばかりに囲まれて過ごすことが出来ています。
改めて考えると、この変化は関わる人たちに恵まれるためには自分がまず変わらないといけないという証拠なのかもしれません。
大事なことは本当に能力なのか?
さてもう一つの大きな失敗は大学2年生の時、副寮長時代です。
私が通っていた大学は少し変わっていて、スポーツ学部と医学部の生徒は1年生の時に大学の寮に強制的に入らないといけないという伝統がありました。
初めての集団生活、共同スペースは16人で使います。
1年生15人に対して2年生の部屋長がつきました。
そして、三役といって中学や高校でいう生徒会のようなリーダー的役割があって、2年生の部屋長達をまとめるという役割に私は挑戦しました。
そして、見事にここでも人間関係を破綻させながら1年間を過ごしました笑
ここは何も言い訳はないのですが、当時の部屋長達で私がしっかりと役目を果たしたと思っている人は少ないと思います。
リーダー的役割ということは部屋長達のサポートをしたり、悩みを聞いたり、2年生の連携を円滑にするための行動をしないといけなかったはずが、むしろ部屋長達のリーダーの素質がある人たちが寮を支えてくれていたように思います。
「立場が人を作る」という言葉がありますが、当時の私は副寮長という立場は偉いんだというそもそもの間違った解釈をしていたのかもしれません。純粋に何をしたら組織のためになるのか、部屋長の2年生達がどんなことを考え、どんな行動をしているのかも把握できず、純粋なる能力不足を露呈しました。
それでも私が能力が足りないなりにもっと懸命に日々行動を出来ていたなら、周りの人間達と協力し合って頑張れたのではないかと思います。私に足りなかったのは能力だけではなかったように思います。
「7つの習慣」という本はご存知でしょうか?
この本の人間がどうあるべきかの解釈の仕方がこの内容と関係がありそうなので紹介します。
7つの習慣とは
- 第一の習慣・主体的である
➡︎自分から動くこと、自分の行動は自分が決めるという自覚を持つこと - 第二の習慣・終わりを思い描くことから始める
➡︎自分の目的を把握する、どんな人間でありたいのかを理解する - 第三の習慣・最優先事項を優先する
➡︎自分の目的に対してやるべきことを見極めて行動を選択する
「第一〜第三の習慣はまず依存からの脱却で私的成功のための段階」 - 第四の習慣・Win-Winを考える
➡︎相手と自分両方が得をする道を探る態度を常に持つ - 第五の習慣・まず理解に徹し、そして理解される
➡︎自分のことを理解されたいのであれば心から相手のことを理解する - 第六の習慣・シナジーを創り出す
➡︎人との関係の中でお互いのいいところを最大限引き出した結果を出す
「第四〜第六の習慣は周りの人間も巻き込んだ公的成功のための段階」 - 第七の習慣・刃を研ぐ
➡︎人の持つ4つの資源(肉体、精神、知性、社会、情緒)を維持、再新再生するという習慣
「第七の習慣はより自分を改善して高みを目指す最新再生の段階」
第一〜第三の習慣を達成することによって、達成される私的な成功とは簡単に言えばまず私個人が一人の人間として自立できているということです。そして、私的成功をしている人たち同士2人以上が関わることによってより大きな成功、足し算を遥かに超える成果を達成できるという考え方です。
要するに、「まずは自分のことをしっかりとしましょう、そしてその段階を達成できたら他の人も巻き込んで良い成果を出すことができますよ!」ということです。
今、振り返ると副寮長に挑戦した頃の自分はまだ「他責」に縛られており、問題があれば人のせい環境のせいにする思考回路でした。「自分」への意識ばかりが強く、第一の習慣である主体的であることすらまともに実践できていなかったので、他の人たちも巻き込んだ公的な成功を目指せる段階にまだいなかったと思います。
挑戦するのはいいことだったのかもしれませんが、自分の能力を超えているであろう事に挑戦をして自分が思い描いたリーダーシップは発揮できなかったので後悔が強いです。
7つの習慣という本のいいところは「原則」「人格」を重んじているという事です。
上辺だけの応急処置的なテクニックの解説に終始するもの内容ではなく、誠意、謙虚、勇気、正義、忍耐、勤勉、節制、黄金律といった、不変の「原則」に基づく優れた人格の養成を重視しており生き方としての参考になる名著中の名著です。
これから私がもし経営者として人を雇うなら、絶対に入社希望の人全員に読ませたいくらい人生の大事なエッセンスがこの本には凝縮されています。
当時の私にはリーダーとしての「能力」が足りなかったのは言うまでもありませんが、せめて「人格」が備わっていれば過ごした1年間は当時と大きく変わっていたのではないでしょうか。
ここでも自分の中で言い訳をして平静さを保ちながら、「何も出来なかった副寮長」として恥ずかしい1年間を過ごしました。(別に誰かに言われたわけではないので、個人的にモヤモヤしてるだけかもですが)
ただ、やっぱり当時挑戦して良かったなと思うのは「1年間という比較的長い期間を費やした失敗」という普通の人があまり出来ない経験を出来たことです。「人を引っ張らないといけない立場」になったとしても、状況を正しく把握し相手の気持ちを理解しつつも何かの行動を自分から起こすということの難しさを経験できました。
7つの習慣で最も難しいのはどの習慣だと思いますか?
私は間違いなく第五の習慣である「まず理解に徹し、そして理解される」だと思います。
人間、誰だって世界で一番興味のあることは自分自身のことです。
誰かと話をしている時も相手の話を相手のことを理解するために聞いているわけではなく、聞きながらどうやったら自分のことを分かってもらえるか、次に話す内容を考えながら聞いている人が多いです。
しかも、相手の言葉を聞いたときはどうしたって自分の経験をもとにした解釈が混ざります。
相手の言葉は相手の経験のうえに成り立っているため、その言葉の真の意味が何なのかは相手の立場になりきって心の底から聞かなければなりません。
例えば、「〇〇さんって不器用だから」と言われた時にそれが言葉のまんまネガティブな意味なのか、その人が「不器用な男ってカッコいい」という価値観を持っているのかは分からないからです。
最も難しいのは第五の習慣だとは思いますが、多くの人達は第一〜第三の習慣の私的成功の時点でつまずいている人達が非常に多いように思います。なんなら、第一の習慣「主体的である」ことすら半分以上の人が出来ていないのではないでしょうか?
愚痴を吐く人とは付き合うなと色々な自己啓発系の発信で言われているのは、根本に愚痴を吐くような人は「他責思考」が強いからだと思います。
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過去に対する捉え方はこうするべき
さて、話が長くなりましたが経験を踏まえた上で私が思う過去の攻略方法を伝授します。
繰り返しの大前提として、「過去は変えることができない」ということは忘れないでください。
ただし、過去の出来事そのものは変えることができませんが「過去への解釈」については変えることができます。
私の場合は学生時代に人間関係の失敗をたくさん積んだからこそ、他人からどのように自分が認識されやすいのかを理解し、どのように自分が振る舞えばいいのかを意識できるようになりました。
「事実は一つ、解釈は無限」です。
また、リーダーという立場に自分から身を投げ出したことによって、自分の能力の低さの自覚や多くの人が関わる組織での振る舞い方は非常に難しいんだという経験を積むことが出来ました。
ネガティブな気持ちになる経験をした時、人は自分を守るために言い訳を考えて、あるいは大きくやる気を削がれて何も行動しないことを選びがちです。
あなたの過去に傷を残した経験は本当に何も得ることができないような理不尽なことだったのでしょうか?
仮に誰が聞いても決して避けられない、理不尽な目にあったのだとしたらそれはむしろ幸運です。
その出来事から今後気をつけるべきことを学び、行動に落とし込めた時あなたは人一倍気をつけることが出来るからです。
過去とは経験の積み重ねという財産です。
経験を踏まえて選んだ行動は以前より実践的で磨かれたものとなっていきます。
成功した時の「やったー」という気持ちよりも失敗した時に
「なんてことをしてしまったんだ」という苦い思いの方がその後の行動が変わりやすいです。
同じ過ちを繰り返さなければ、あなたはどんどん成功を積み重ねていく事になります。
「失敗したらラッキー」と感じれるくらいドンっと構えて生きていきたいですね。
まとめ
- 人間は常に自分を正当化するための言い訳のプロある
- 相手が悪いと思う時、むしろ自分の捉えた方に問題があることを自覚すべし
- 良好な人間関係が築けないのは、自分がまだ充分に自立できていないから
- 失敗を経験した時は、その経験をどう解釈するかが重要である
偉そうに過去の解釈の仕方について書きましたが、私もまだまだ充分に成熟した人間ではありません。
言葉を間違える時もあるし、自分の非を素直に受け入れられないことがあります。
ですが、そんな態度をとっていても損するのは結局自分なんです。
この文章を誰に宛てて書いているかというと、実は過去の自分に対してです。
今だってまだまだ未熟者の私ですが、それでも学生時代の私に比べると幾分かマシになりました。
こんな風に当時も世界を見られていたら、結果は少し違ったのかもしれません。
もし、この文章があなたたの過去を少しでも前向きな解釈に繋げられたら嬉しいです。
では、また!