#6「菊と刀」から日本人の特徴を学ぶ

マインド

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普段は渋谷区恵比寿でパーソナルジム
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今回はタイトルにもあります通り、日本人の特徴を専門家の視点から考察していきます。

今回参考にした本はこちら

「菊と刀」


文化人類学者のルース・ベネディクト(1887〜1948年)が第二次世界大戦中に国から…
戦時情報局からの依頼で「日本人」がどのよう民族かを研究し1946年に出版された本です。

出版から70年以上が経過していますが、私は読んでいて現代の日本人にも通じる部分があり理解しておくことで仕事や人間関係に活かせる場面がありそうだなと感じました。



この記事を読むメリット

  • 恩と恥について理解し古くから残る日本の文化を知ることができる
  • 欧米人と日本人の思考パターンの違いから自分の行動を振り返ることができる
  • 普段あなたが関わることの多い日本人が何故そのような行動をするのか理解しやすくなる


この本が書かれた背景


当時は戦時中であったこともあり、現地に行くことはなく用意された資料(ラジオ放送の内容、捕虜のから得た情報、日本の歴史、本や文献)などを基に考察したようです。

なぜ日本人が分析されか一言で言えば「日本を降伏させるためにはどうすればいいのか」、「勝利後どのように統治するべきか」そのために日本人の性質をアメリカは知ろうとしたわけです。

降伏させられるのか?本土へのプロパガンダ方法は?戦後、日本の秩序はどう保つべきか?皇居は爆撃すべきか?日本人捕虜はどう行動するか?

「菊と刀」より

アメリカから見た当時の日本はさぞ野蛮に見えたことでしょう。ほんの数十年前までは侍と呼ばれる人達が「切腹」という謎の自害の方法を用い、第二次世界大戦中においては命も顧みない「神風特攻隊」という自爆テロもためらわずに行う危険な集団です。

孫子の兵法では「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」という言葉がありますが、アメリカはまさしく勝つために「日本人を知る」ことを重視したわけです。

「菊と刀」の著者、ルース・ベネディクトの背景について少し触れておきます。
女学校で国語の教師として働いた後、人類学に興味を持ち1921年コロンビア大学に入学、そこでアメリカ人類学の父と呼ばれる「フランツ・ボアズ(1958〜1942)」から人類学を学びました。

ボアズが台頭する以前は「西欧文化こそが至高」であり、それ以外の文化は劣った文化であるという解釈が一般的でした。

しかし、ボアズは文化にはそれぞれの歴史的背景があり、優劣をつけるべきではないという考えを持つ学者でした。彼から人類学を学んだベネディクトはボアズと同じく文化相対主義という他の文化も西欧文化と同等であるという考えを重視していました。

ようするに現地の日本には行けなかったものの、日本人に対して偏見を持った考察をしたわけではないということです。

この本の出版後、内容については現地に行ってないことなどもあり賛否両論があったようですが
70年以上経った今でも名著として残っているのは、それだけこの日本人の分析が的確であった証拠と言える気がします。

前置きはこれくらいにして本編に入っていきましょう。

日本人の特徴「恩」の文化

日本人は諸外国に比べて「恩」を大切にする特徴があるといいます。

階層制にともなう習性が律義に守られているからこそ、日本人は道徳的な借りを、欧米人には想像もつかないほど重視するのである。(中略)恩とは自分に与えてくれた恩恵に対する、いわば負債のようなものであり、多くの日本人はその返済に追われている

「菊と刀」より

ようするに、日本人は「恩」を受けたら借金をしているような感覚で捉えがちということです。

恩を与えられたら「義理」を返す。
「ご恩と奉公」という仕組みが鎌倉時代にあったことはあなたも義務教育で習ったことでしょう。

御恩と奉公とは、中世の日本において、主に武士の主従関係を構成した要素・概念。中世の武士間の主従関係は、決して片務的なものではなく、主人・従者が相互に利益を与え合う互恵的な関係で成り立っていた。ここで、主人が従者へ与えた利益を御恩といい、従者が主人へ与えた利益を奉公といった。

Wikipediaより

日本では「恩」はもらってばかりではいけないという価値観が大昔から根付いています。

たとえば道で落としたものを拾ってもらった時を思い浮かべてください。

欧米であれば「ありがとう」という言葉をいうシーンですが、
日本では「すみません」という言葉を使っても何も違和感がありません。

まあ、もちろん「ありがとう」という人も現代は多くいるでしょうが、
「恩」に対する捉え方が欧米と違うというのはなるほどと思いました。

「恩」を受けたら「義理」を返すと言う部分に関しては本書では12世紀の豪傑弁慶の話を紹介していました。(義経を守るために矢に撃たれながら仁王立ち最後まで忠義を果たしたストーリー)

「恩」と「愛」

子を持って初めて知る親の恩

欧米人ももちろん、恩を感じることはありますが日本人ほどは重く受け止めないのだそう。
特に親に育ててもらった「恩」に関しては欧米人と日本人で捉え方が大きく違います。

アメリカの場合はキリスト教が考えの中心となりますので、「無償の愛」が親が子を育てるさいに当てはまる言葉でしょう。

大人になったのちに親に対して優しく接するということは欧米でも勿論ありますが、「親孝行しなければいけない」という日本人が持つような固定観念のようなものはありません。

ようするに、欧米では親の優しさは「愛」と受け取り、日本人は「恩」と受け取るといえば分かりやすいでしょうか。

人間は世間のおかげをこうむっている。一人前に育ち、教育を受け、幸福な生活を送っているのも、いや、この世に生を受けたという単純な事実すら、世間のおかげである。

「菊と刀」より

戦前のベストセラー夏目漱石の「坊ちゃん」で日本人の「恩」に対する捉え方の特徴が現れています。

主人公の坊ちゃんは同僚教師の山嵐から「氷水(缶ジュースと思えばOK)」を奢ってもらいます。しかし、その後に山嵐が坊ちゃんの悪口を言っていたと聞き喧嘩になり、そのお金をすぐに返したくて仕方なくなり彼の机の上に置いたという描写がありました。

「返報性の法則」といって与えられたら返す、という特徴自体は日本人だけでなく人間の心理の特徴として共通する部分ですが、日本人は「恩は負債として返すべき」という概念があるため他の民族に比べて親しくない人からの「恩」については嫌がる傾向を持ちます。

「恩着せがましい」

この言葉は日本特有のものといえます。
確かにこの言葉を英語にしようと思うと、expecting gratitude in return(お返しの気持ちに期待)などになるでしょうが少々ニュアンスが違う気がします。
(適した言葉があれば誰か教えてください、英語は得意ではないので笑)

よからぬことを考えているのではないか」「あとで不当な要求をされるのではないか」ということを警戒するのは、日本人ならではの感覚なのかもしれません。

お歳暮を貰ったら返さないと、年賀状が送られてきたら返さないといけない…
そう感じるあなたの家族はいまだに日本人独自の特徴が残っているのでしょう。

もう一度、親に育ててもらったことに関する捉え方の話に戻りましょう

欧米人は親から与えられたものを「愛」と捉えるため、返さなければいけないという義務感には囚われません。何故なら「愛」とはあたえるものであり、自分の大切なもの、命を分け与えることだからです。

そう言われてみるとこの内容、以前紹介した7つの習慣に似たような内容の記載がありました。
#3「7つの習慣」から学ぶ過去との前向きな向き合い方

日本では「愛」という言葉は名詞ですが、英語では「love」…動詞ですね。
つまり、欧米では「愛」については自分から与えるということが前提となっていると言えるのではないでしょうか。

言葉のニュアンスからも欧米と日本とでは、親からもらったものに対する捉え方が違うというのは非常に興味深いですね。

また、日本の童話には「恩」をテーマにしたものが多いです。

「鶴の恩返し」「ごんぎつね」「笠地蔵」など、あなたも昔読んだことがあるのではないでしょうか?

以上が「恩」についてです。

これを読んでも私は親孝行をしたいですし「恩は返すべきである」という考えは変わりませんが、これが日本人特有の特徴であるということは頭に入れておいても損はないように思います。

日本人の特徴「恥」の文化

日本人は失敗を過剰に恐れる民族です。

「汚名返上」

「一家の恥」

これらの言葉は名に何かを背負っていることを現す、あるいは組織に所属する人が持つ感覚と言えるのではないでしょうか?

日本人は個人で失敗した時、人に馬鹿にされたり、笑われたりすると強く傷つくという特徴があるとベネディクトは言います。

ちなみに「菊と刀」ではよくこの「恥の文化」について強調された記事を見かけますが、実際に読んでみるとこの部分に触れた文章は非常に短く7ページ程度でした。
ただ、この内容が「菊と刀」の紹介の中でよくピックアップされるのは、この本を読んだ日本人自身が「たしかに」と納得したからだろうと思います。

ここでは日本と欧米を比較して、「罪の文化」「恥の文化」という表現がされていました。
詳しく解説していきます。

「罪の文化」は言い換えれば道徳の文化であり、キリスト教を精神的なバックボーンとする欧米人の捉え方です。罪の自覚という内面的な強制力によって自己を律することが特徴となります。

「恥の文化」は何が正しくて何が正しくないのかの判断が「世間」によって決められます。キリスト教のように絶対的な神の観念がないために、他人の評価という「外面的な強制力」に基づいて自己を律します。

「恥の文化」では「世間」からの評価の関わらない独創的な善行は苦手と言えるかもしれません。
日本人は「恥」に対して非常に敏感ですが、それと同時に世間体さえ保てていれば、表向きさえ繕っていればセーフという感覚があるように思います。

あなたが子供の頃、母親から怒られてる途中で電話がかかってきた時、母親の声が怒声から電話に出た瞬間にお客様対応用の声になることはありませんでしたか?あれはもしかすると日本独自の文化なのかもしれませんね笑

「応分の場」に見合ったさまざまな礼儀を一から十まで守ること。苦痛にさいなまれたとき自制心を発揮すること。職業や技能に関する自分の評判を守ることー。

「菊と刀」より

日本人は自分の信じる善行を積む…というよりは世間から見て「恥」をかくことのないように自分を抑えるように「修養」を積むのだとベネディクトはいいます。

この自分を抑える行為をベネディクトは「ストイシズム(自己抑制)」と呼び、本書で何度も登場します。

あなたが今、自分の中で描いている理想の自分の姿とはどのようなものでしょうか?
もしそれが一般的に「世間」からの印象がいいもの、例えば「大企業に勤めること」「公務員になること」「有名大学に入ること」のようなものなら、もしかするとあなたは「恥の文化」の影響を受けている可能性があります。

もちろん、それが悪いことであるというつもりはありません。
しかし、それが自分の奥深くの内面の自分の意見と違うのであれば、「世間」に縛られない自分の道を探るのも人生を充実させる一つの鍵となるかもしれません。

この「恥の文化」という考察に触れると、なぜ戦時中の日本人達が兵として強い意志を持って戦えたのか、神風特攻隊という現代からすると異常な突撃ができたのかが理解できますね。

「欲しがりません、勝つまでは」

歴史の教科書でも出てきた標語ですが、「世間」が戦争に全特化していた時代に戦争に駆り出されること全力で挑むことは仕方なかったのでしょう。

日本人の二面性について

今更ですが、この本のタイトル何か不思議ではないでしょうか?

「菊と刀」

異質のものが並んだタイトルとなっています。何を表しているのでしょうか。

菊の花が象徴しているのは 、自由を自制する戦中および戦前の日本人の生き方のことである 。また刀は 、狭い意味では刀の輝きを保たねばならない武士の義務のことであり 、広い意味では自己責任をまっとうしようとする日本人全般の強い意志のことである ─ ─ 。

「菊と刀」(光文社古典新訳文庫) 訳:角田安正 訳者あとがきより

菊は日本の代表する花であり、当時はまだ一般的であった家紋にもよく使われていました。
刀は言うまでもなく侍をイメージした言葉でしょう。

アメリカから見た日本人が矛盾した二面性を持っていたことからつけられたタイトルでしょう。

日本人は攻撃的でもあり温和でもある
軍事を優先しつつ、同時に美も追求する
頑固でもあり、柔軟でもある

「菊と刀」Youtubeチャンネル アバタローの解説より抜粋

普段は臆病者なのにある日、大きなことにチャレンジする人。
普段は従順な態度を見せているのに、納得できないことがあると絶対に意見を曲げない人…

あなたの周りにもそんな相反する性格を併せ持っている人はいないでしょうか?

それは日本では矛盾した性格と思われませんが、欧米では相反する性格を持つことは珍しいのだとベネディクトは言います。

この二面性は日本人と欧米人が歩む人生曲線の違いから生まれるという考察がされていました。

日本人は幼少期(0〜5歳)になるべく自由に束縛されることなく自由に生きます。
しかし、6,7歳の義務教育が始まった頃からやるべきことを強制されていき、そのまま社会人としてわがままが許されない環境で働き、老後に再び自由を手に入れるという人生を歩みます。

しかし、欧米ではむしろ幼少期に厳しく育てられなかなか自由は与えられません。
そこから大人になっていくにつれ、自由度が増し老後は再びやれることが少なくなっていくとのこと。

日本人はこの幼少期周りの大人に可愛がられる期間に「自由に振る舞うこと」を許され、精神的な柱が形成されます。しかし、その後「甘やかし期間」が終了すると「世間」と向き合うことを強制されていきます。

つまり、幼少期に「恥」というものから解放された期間と「恥」に束縛される期間を連続で経験することによって、日本人は先ほどの「二面性」を手に入れるという考察がされていました。

1937~1945年の日本人は「世間」が一体となって戦争に熱狂していたと考えられます。
また、それを否定することは「恥」が許さず、それを言葉にしてしまえば国民として「世間」を敵に回してまうとい状況だったのでしょう。

では、戦後の日本はどうなったか。
あれだけ戦争に国をあげて抵抗していたにもかかわらず、1945年8月15日の終戦をきっかけに一切抵抗をしなかったことはこの記事を読んでいるあなたもご存知でしょう。

つまり、ここも「世間」がいっぺんに方向転換をしたのだと言えるでしょう。

ベネディクトは本書で次の言葉を引用していました。

「おのおのの藩、もしくはおのおのの党派の熱 烈な追随者は、新しい政治を、たんに新しい種類の戦いとして-指導者の利益のために戦 う忠誠の戦いとしてしか、理解していなかった」

「菊と刀」で引用されたラフカディオ・ハーンの言葉

西欧流のデモクラシーを導入しても日本的改変を受けることだろうと述べています。
また、アメリカは日本人が「恥」を受けたと思いこまぬよう慎重にふるまわなければならない、そのことと日本が一切の軍備を奪われることとは全く違う次元のことであると言っています。

そして、ベネディクトの言葉通り日本人は抵抗をしませんでした。

ベネディクトがこの考察をしたきっかけである、戦時情報局からくだされていた命令は
「日本を降伏させるためにはどうすればいいのか」、「勝利後どのように統治するべきか」でした。
ベネディクトの見事な考察により的を得た処理をGHQは行なったように思います。
(実際どの程度この情報を参考にしたかはわかりませんが)

ここまで「恩」と「恥」について解説してきましたが、この本の中身を物凄く簡単に要約すると、

日本人は大昔から階層的な社会が馴染み深い。(ご恩と奉公の文化は鎌倉時代まで遡る)
世間体を重視しながら社会的な地位を高められれば、安全や権利が保障される世の中である。

自分が世間の中で生きられらるのは上に「恩」があるからであり、
その「義理」を返すことが日本人としての使命である。

その義理を返せないことは「恥」であり、「世間」からの印象が悪くなり、この世界では生きられなくなる…というのが日本人の戦時中の特性ではないだろうか

こんな感じにまとめられるかと思います。

「菊と刀」考える現代の日本人のこれからの課題

ここまでは主に「菊と刀」の内容についてわかりやすく解説してみましたが、この内容を加味しつつ現代の日本との違いであったり、あなたがこの話をどう生かしていくべきかについて触れていきます。

先に結論を言えば、この「恩を与えられたら義理を返す」「恥の文化」といった捉え方は現代の日本人にも通じますが、時代が進むにつれて良い部分が薄くなっていき、悪い部分ばかり残っているのかもしれないと感じました。

日本人には「絶対的な神」がいないために、独創的な善行を行えないという特徴は間違いなくあると思います。「世間」の目を気にした善行しか行えないというのは「偽善者」であり、他人の「評価」を気にした「外面的な強制力」に支配された善行には魅力をあまり感じません。

例えば、日本人が海外でスポーツ観戦をしたときなどに行う「ゴミ拾い」をしたというニュース、この手のニュースはSNS等だと「日本人の良さ」などとたびたび反響を呼びますよね。

ですが、なぜか街を歩いている時は自発的にゴミ拾いをしているような人はほぼ見かけません。
つまりスポーツ競技の会場などで「ゴミ拾い」を行なう時は自発的というよりは「世間」から「評価」されることを目的にしてしまっているのではなかいと私は感じてしまいます。
(やらない善よりやる偽善の方が価値があるとは思いますが)

また、「恥の文化」がもっと残っていた頃は電車の中で「化粧をする行為」であったり、大の大人が電車の中で少年雑誌を読んでいたりとしたことはなかったのではないでしょうか?

#2学生と同じ世界を生きる日本の大人達
(以前、この部分に関してはニーチェの話と絡めて解説しています)

日本人は冒頭に紹介した文の通り、もともと階層社会には慣れており、その立場にあった行動をするように「自己抑制(ストイシズム)」が出来る民族であったはずです。

階層制にともなう習性が律義に守られているからこそ、日本人は道徳的な借りを、欧米人には想像もつかないほど重視するのである。(中略)恩とは自分に与えてくれた恩恵に対する、いわば負債のようなものであり、多くの日本人はその返済に追われている

「菊と刀」より

もともと独創的な善行が苦手で、プラス「恥の文化」が薄くなってしまい、立場にあった行動を選択する「自己抑制(ストイシズム)」が出来ない人が日本人には増えてしまったと感じるのは私だけでしょうか?

昔からある日本人の性質として良い部分は残しつつ、欧米の良いところは取り入れつつ生きていくためにはどうすればいいのでしょうか?

私はこの解決方法についてはまず、こういった日本人の性質というものを日本人自身が知ること。
ひとりひとり、日々の教養をつける習慣を身につけ前向きな行動を増やすことが大切だと思います。

教養をつけることに関しては、何も今勉学に励んでいる学生だけの話ではなく「大人」も同じように取り組むべきだというのが私の考えです。

「恩」「恥」という日本人が元々持っていた世界の捉え方の良い部分だけを取り入れ、後世へと繋げていくためにも私自身も日々自己鍛錬に励もうとこの本を読んでより強く感じました。

まとめ

  • 日本人は「恩」に対して「返さなくてはいけない」という概念が強い
  • 欧米では「罪」を意識して善行を積むのに対し、日本人は「恥の意識」から自己を抑制する
  • 日本人は幼少期の自由と抑制の経験から二面性を持った性格を有する不思議な民族である

「菊と刀」という70年以上の前の本から海外から見た
「日本人の特徴」というものを解説していきましがあなたはどのような感想を持ちましたか?

現代の日本人にも通じる!何か学べることがある!
と感じた方は是非、「菊と刀」を自分でも手に取って読んでみて下さい。


もちろん、「日本人という括り」は大きすぎて実際にはひとりひとり人間は違うということは百も承知です。ですが、人類学の専門家が客観的な目線から分析した「平均的な日本人像」というのは、現代にも通じる多かったように思います。

これからもあなたの役に立つかもしれない情報を発信していこうと思います。
この記事が少しでもいいなと思っていただけたらSNS等でシェアしていただける嬉しいです。

では、また!

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