#15_SNSから感じる違和感を文章にしてみた

マインド

こんにちは!MOTOです。

普段は渋谷区恵比寿でSTRENGTH&STRETCHの代表として働いています。
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今回はタイトルの通り
「SNSから感じる違和感」というテーマで色々話していきます。

個人的な感想なので書く必要もないかなとも思っていたのですが、最近立て続けに知り合いの方がSNS絡みのトラブル(?)に巻き込まれたり、嫌な思いをしている様を目にしていたのでぼんやり考えていた私の考えを綴っていきます。

現在進行形で文章考えながら打っているので論理構成しっかりしていないかもしれませんが、適当に読んでもらえれば幸いです。

SNSの使い方は個人に自由があり、今回の記事が特定の誰かの全てを否定する訳ではないこと、自分の意見だけが正しい訳ではないということは大前提として頭にあることはご理解ください。


簡単な友達の作り方

私は人の悪口を言う人、批判が多い人が好きではありません。(大抵の方がそうでしょうが)

ですが、SNS上では平気で人の悪口を書いたり、批判をしたりする人が多いように感じます。

そういう人を見ると「あ、あまり関わりたくないな」と思ってフォローしてた人でもフォロー解除したり、それがちょっと気まずいくらいの相手であればミュートにすぐします。

この記事を読んでいる人は私のフォロワーの偏り的に野球人が多いでしょうが、
例えばですが「審判の判定に対する内容」は今年やたら目につきます。

その発信の仕方や文面の内容等にはよりますが私は気になりました。

「自分を客観的な人物である」と思っている人ほど、
「強い言葉」を使う傾向が強いです。(という客観ぶった主観)

人間は誰だって自分の頭でしか物事を考えられません。
そこには多かれ少なかれの「主観的な考え」は混ざります。

ただ、そこまでは当然のことなのでまだいいんです。
個人的にSNSというツールを発信に使う場合は使う言葉に対して、「絶対に誰かの目に触れる」と言う配慮が前提に必要だと感じます。

「自分の軸」を持っていない人はSNSやメディアの発信から得る情報に強い影響を受けやすいでしょう。SNSやネットでは「炎上」というものがよく起きますが、何がきっかけで火がつくか読めないので使う言葉には「人に読まれる」配慮がないと危険です。

怒りや批判的な内容に「便乗してしまう人が多い」のはSNSの悪いところです。
(ポジティブな内容よりネガティブな内容に対しての方が便乗の傾向は明らかに強い)

炎上や物議を醸す内容を見ると、なんとなく中学の頃を思い出すのですが
当時の担任の先生が私達に「簡単な友達の作り方」についてこんな話をしてくれました。

簡単な友達の作り方は「共通の敵を作ること」だと。

もちろん、「そんな人になってはいけない」というニュアンスを含んだ話でした。

あまり具体例は出したくないのですが覚えている人も多いと思うで例を挙げると

今年、佐々木朗希選手がストライクゾーンに不満な態度を出し続けたことによって、白井球審が怒りを露わにしたトラブルがありました。私も見た感想は「大人気ないな、イニング間に個人的に注意すればいいのに」と思いましたが、それをわざわざSNSで発信したりはしませんでした。

ところが世の中の反応は違いました。

よってたかって、「極悪人 白井球審!」という反応を見せた人が多くなんだか白井球審ももちろんですが、過剰に反応してしまう大勢の人もどちらにも気の毒に思いました。

一人一人、発信を見たときに情念(怒り、感動など)で何かを感じるのは自然なことです。
ですが、そこから発信に移すときに使う表現は自分で選択することが出来るはずです。

私も偽善者ぶるつもりがあって、ネガティブに捉えかねない内容の発信をしない訳ではなく「SNSでは誰かの批判や悪口など他人に対するネガティブな内容を発信しない」と決めているのでしません。言葉が簡単に恐ろしい凶器になることを知っているからです。
(気をつけていても言葉選びを間違えることもあるでしょう)

SNSは発信に鍵をかけてフォロワーが0に近いならまだしも、
基本的には「公共の場」であるという前提が必要だと強く思います。

駅前やショッピングモールなど大勢の人が集まる場所で堂々と誰かの悪口を言うでしょうか?
そんなことはしないという人も何故かSNSでは発信してしまうのですから不思議です。
(ましてや本名とか立場丸出しでやっちゃう人も中にはいるので本当に不思議)

いやいや、こんな記事を書いてるのもそうじゃんとも思うかもしれませんが、
この記事を読んで一人でもSNSの使い方について見直す人がいたらいいなと思って書いています。

ここからはより深く「人の性質について」私の主観メインで話をしていきます。

人につきまとい喜ぶ人達

炎上に乗っかる人や、誰かをネット上で批判してる人(身近な人、有名人、あるいは他人でも)を目にする度に頭に浮かぶ感想は…

「ああ…この人暇なんだな」

なんなら、冒頭で触れた私の友人の例で言えば、SNSで人の悪口を書くため専用のアカウントからDMでメッセージが来ていたようでした。

「ああ、めちゃくちゃ暇人じゃん…」

ちょっと違う性質の話をあげれば、ピッチングフォームをあげると頼んでもいないのにアドバイスを送ってくる人もいますよね。結構、野球女子の投稿なんかもよく分からん人達からの謎の上から目線のアドバイスが大量に並んでいたりしますよね、あのタイプです。ここで浮かぶ感想は…

「あんた、誰

こういう方達の目的ってなんなんでしょうね?
まあ、一つは人の人生にわざわざ自分の時間を使って構ってあげてるわけですから「暇人」なのは間違いないでしょう。

もう一つは「権力争い」でしょうか?

本人にその自覚があるかないかはまた別の話として、その人の短所・欠点をあげつらうことによって「自分のほうが上である」という認識を誇示しようとしていると感じます。

人は多かれ少なかれ誰でも劣等感を持っています。
健全な心を持ってその劣等感を自分ごととして捉えて行動できればいいのですが、人間とは弱いもので正面から自分の劣等感に立ち向かえる人やその弱さを自己受容できる人は少ないようです。

劣等感には必ず他人の存在が関係します。

〇〇が私には足りないと感じるなら、かならずそこには比較対象としての人の姿があり、健全な心であればその足りない穴を埋めるべくアプローチをかけるのがいい劣等感との向き合い方です。

劣等感との和解にはあくまで「”自分”とどう向き合うか」がとても大事なことであり、そこに他人の存在は必要ないと割り切れればもっと世界を、生き方をシンプルに考えることが出来ます。

自らアドバイスを他人に求める場合は話は別です。
誰かの意見を自分から聞きにいくというのは、主体的なアプローチのひとつですから。

しかし、自分の劣等感との付き合い方が未熟な人は何故か他人に目を向けます。
誰かを落とすことによって、自分の価値を上げようというのがSNSでよく批判をしている人達の特性なのではないでしょうか。

権力争いの傾向が強い人同士がSNSでぶつかるともう目も当てられません。
DMならまだ良いと思うのですが、SNSで公開で喧嘩してる様子とか見ることありますよね。

議論から脱線してしまい権力争いになるパターン

あ、もちろん議論であれば除きます。
自分と違う角度から物事を見れる人の話を聞くこと、経験値や知識が深いor浅い人からの意見はお互いのために良い影響を与えてくれるでしょう。

ですが、赤の他人相手だと議論でなく権力争いになることはあるあるです。

例えば、高校野球の在り方について議論になったとして、
「〇〇は教師という立場にも関わらずそんなことを言うんですか」や
「監督のくせに選手を大事に思っていない」みたいに論点が違う方向に飛躍するパターンです。
(伝わりますか?)

これだと無毛な権力争いに脱線してますね。
元の意見に誰かを見下すような意図がなかったとしても、つい議論の途中で勝ち負けを意識してしまうのはあるあるパターンでしょう。SNSという相手の顔が見えないツールを使う場合は現実で顔を合わせて話すときに比べ攻撃的になりやすいです。異変を感じたらすぐに降りるべきだと考えています。

血が熱くなってしまった時は、相手より優位に自分が立ちたい、あるいは自分の正論で相手を屈服させよういう支配欲に駆られてしまいます。議論はOKだと思いますが、基本的にはSNSでそれを行う時は権力争いに発展してしまうリスクが高いと言うことを頭に入れておくべきです。(個人的意見です)

まあ、どっちが正しい正しくない以前に相手が怪しかったら参加しないのが1番でしょうが。

SNSでの賢い振る舞い方

私もSNSは人に見られる機会が多少多い方なので、変な絡まれ方をしたことはあります。
ですが、幸い心にダメージを負うようなところまでは巻き込まれたことはありません。

SNSで誰かを批判しているような人は、どこか人生に不満を持っているのでしょう。
頼まれてもいないのにやたら人にアドバイスを送る、マウントをとりたがる人も同じです。
議論に見せかけた権力争いをしてくる人も話にならないので無視すべきです。

こういうタイプの人が自分の知人に現れた場合、よっぽど自分にとって有意義な意見をくれる人や信頼関係のある友人などでない限りは、縁を切ってしまったほうが楽です。

また変な人に絡まれないコツは自身も普段からそういったネガティブな内容、誰かの批判・悪口、炎上している内容への便乗をしないことが大切だと思います。

類は友を呼んでしまうので。

SNSの使い方は個人の自由というのは百も承知していますが、
私が思うSNSの使い方としていいなと感じるのは次の6パターンです。
(※独断と偏見で例として出しているだけです)

仕事関連のアピールの場として。
・頑張りを継続するための手段として。
・誰かのためになる情報を発信すること。
・友人との繋がりを感じるための手段として。
・感動したことや思考を言語化するための手段として。
・自分が好きなor興味のあるものを見るための手段として。

言葉の使い方を間違えないことは必須ですが、これらなら誰かに嫌な思いをさせるリスクは低いでしょう。

冒頭に書いた言葉を繰り返しますが、「SNSはもはや公共の場である」と言っても何も言い過ぎではありません。

誰かに見られることを前提に「いい人」でいるのが賢い選択でしょう。

そもそもSNSでどんなにマウントを取ったって現実の自分の立場が変わるわけではありません。

「せめて、SNSの世界では…」という考えもあるのかもしれませんが、フォロワーが何千人いようが何万人いようが、世の中の殆どの人が「あなたになんて興味ない」というのが現実です。

例えば、あなたは昨日SNSで何に「いいね」したかどのくらい思い出せますか?
私達はあのボタンを無意識で深く考えないで押してるので殆ど覚えていないですよね。
となると、自分の投稿に押されたSNSの「いいね」だって大抵覚えられていません笑

ですが、フォローしている人間に対しての印象というものはあります。

どんな投稿をしているかが具体的に思い出せないとしても、その人の発信を見ると「どんな気持ちになるか」は覚えているというのが持論です。

なので、SNSでの発信というのは「ポジティブ」でいる方が無難です。

SNSに資産価値はあるか?

最近のトレンドとしてSNSの価値が現代は資産価値と同じくらい価値があるというような発信も見るようになりましたが、私は正直この意見にはやや否定的です。

SNSから大きな仕事に繋がった経験もあるのですが、なぜ否定的なのかというとあくまでSNSは「現実をありのまま写すものではない」からです。

実はSNSのフォロワーを増やすのってそれほど難しくありません。
(この話は長くなるので今回は省略します)

ある程度、伸ばし方にはコツがあり今後ますますエセインフルエンサーも増えていくでしょう。

ただ本当に大事なことはもっと原理原則の部分、現実の等身大のあなたがどういう人物であるかです。

たしかに人格が素晴らしくて、SNSの発信にも精力的な人のフォロワー等は増えていくでしょう。
ですが、承認欲求を満たしたいがために「現実と違う世界のあなた」を発信して意味あるでしょうか?

まあSNSを伸ばそうとしている人が投稿で見せる姿は「なりたい自分」でしょうから、それをきっかけに努力を出来るなら良いことなのかもしれませんが…私は違和感を覚えます。

まとめ

今回の記事はは私の独り言の類だと思ってください。
記事を書く前に構成等も考えないで打ったので、結局何が言いたいのかは伝わりづらかったかもしれません。

具体的な主張を書き出していくと

一部の人はSNS上で凶暴になるし、凶暴でない人ですら何故か便乗することがある
・SNSは誰かの目に触れる前提で発信すべきで立派な公共の場である
・権力争いしている人達は殆ど暇人、議論から脱線してしまう前に自ら降りるべし
・人は感情の生き物、SNSでの発信はポジティブでいる方が無難
・SNSの資産価値という主張を鵜呑みにするよりも現実の等身大の自分を磨くべき

うん、テーマごっちゃごちゃで伝わりづらいですね笑

ブログも結構長いことサボっていましたが、たまにこうやって言いたいことを思考の整理がてら書いていきます。

では、また!

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